Tイギリス編
イギリスで最初の改良が幕開けました。後、欧州全土で個性溢れたペチュニアの改良が盛んに行われました。
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1834年 |
イギリスのバックストンがアキシラリスとインテグリフォーリアを交雑させて雑種起源を誕生させました。これが今日のペチュニア発展の基となっています。
次第に改良が進むにつれて、個性的ペチュニアが次々と誕生しました。 |
1849年 |
半八重咲きが誕生しました。 |
1857年 |
挿し木による栄養繁殖系の八重咲きが誕生しました。 他、ドイツ、フランスでも既にわい性でほふく性の強いものや、スター咲き、覆輪、青色、大輪〜小輪、花縁がフリル状のものなど、今よりもはるかに珍しい品種が作出されましたが、残念ながら壊滅してしまったものも少なくありません。 |
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Uアメリカ編〜その@〜
この頃のペチュニアの改良の焦点は「いかに種から繁殖して100%巨大輪花を咲かせるか?」で、こぞって幾度も交配と育種を繰り返し行っていました。
また、ペチュニアには不可能といわれていた赤色の花も誕生しました。
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1886年 |
病気のリハビリのため主人に勧められて育種に取り組んだシェパード夫人と隣に住むグールド夫人のいたって普通の主婦が100%完全巨大輪ペチュニア「カリフォルニア・ジャイアンツ」を完成させました。 |
1911年 |
フリースがアキシラリスの亜種・パロディーとインテグリフォーリアの亜種・インフラータを交雑させて新たな雑種を生み出しました。花色や花質の良さはこの雑種が基盤となっています。 |
1950年 |
シェパード夫人の弟子、ジョン・ボジャーが夫人達の跡を継いで、よりペチュニアのクオリティーさを引き出した改良が本格化しました。その結果、「ファイアーチーフ」というペチュニアには不可能とされていた赤色花が誕生しました。 |
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V日本編〜その@〜
日本に初めて渡来したのは江戸時代後期、この頃の江戸は町をあげてのガーデニングブーム。と言っても今のガーデニングブームとは違って、町民はあらゆる植物に斑入りをだすという品種改良に熱をあげ、ペチュニアブームにはまだ無縁の時代でした。
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1852年 |
ペリー来航の一年前、アメリカから渡来してきました。渡来当初はペチュニアを文字って「ペテンヤ」と呼ばれていました。和名は「ツクバネアサガオ」(突羽根朝顔)。江戸時代後期に渡来した際、花が朝顔に似て、萼が羽根突きの羽に似ていることからこのような名がつけられました。
今では和名よりもペチュンを文字った「ペチュニア」がすっかり定着していることは言うまでもありません。 |
1931年 |
大国の各国でペチュニアの育種と改良が熱狂化し、日本でもペチュニアの改良が本格的にスタートしました。特にサカタのタネ創設者、坂田武雄が作出した、誰もが作りたくても作れなかった、種子系で100%完全八重でしかも大輪の「オールダブル」を誕生させました。
これにより、世界中が日本産ペチュニアに注目し、改良の秘密を解き明かすのに夢中でした。しかしその後、日本産ペチュニアは大二次世界大戦の波にのまれ衰退の域をたどります。 |
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Wアメリカ編〜そのA〜
日本産ペチュニアに追いつけ!追い越せ!で改良し、その結果、今日の素晴らしい改良につながるF1(一代交配種)が誕生し、外見だけの美しさだけでなく、生産段階から優れた性質を兼ね持つ品種が誕生しました。その結果、花壇材料としてペチュニアはなくてはならないものになり、アメリカ産ペチュニアが主導権を握りました。
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1939年 |
アメリカ、ヨーロッパの種苗会社や育種家の注目は「オールダブル」に注がれていました。
ドイツのべナリー社は遺伝学者と共に、「オールダブル」のなぞを解明し、ダブルペチュニアを開発しましたが、大戦で途絶えました。
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1950年 |
パン・アメリカン社創設者、チャーリー・ウェッデルは従来の固定種とは比較にならない程優れたペチュニア、一重咲き小輪のF1(一代交配種)種に成功。全米におけるペチュニアの種はほぼすべて、パン・アメリカン社製でした。
また、チャーリーはあらゆる花の育成に従事し、「現代花育成の父」と称されています。特に1953年作出の「コマンチ」はほぼ純赤色のペチュニアで人々を魅了しました。
そこでチャーリーはさらに優れたコマンチを誕生させようと「改良コマンチ」を作出しましたが日照条件が悪いと花が咲かないなどのクレームが殺到し、倒産に追い込まれました。
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1962年 |
高度成長期を迎え、人々は花に費やすお金とゆとりを持つようになりました。 これに応じて改良の焦点は、お店で売られるインスタント苗をいかに品質を落とさずに、短期間で大量に生産できるかという生産段階における品質の改良に向けられました。
チャーリーの愛弟子のグレン・ゴールドシスがF1(一代交配種)のペチュニアにさらに早生、わい性、草姿のコンパクト、小輪、多花性と生育の質を高めた品種を誕生させました。
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X日本編〜そのA〜
もはや、日本はペチュニアの最先進大国。現在もペチュニア改良は優れたバイオ技術によってますますの発展をとげ、躍進しています。
また、遺伝子を組み換えることにより想像を超えた優れた発色、性質を兼ね持ったものも誕生しました。また、種苗会社だけでなく、バイオ技術を得意とする他産業の企業が次々とペチュニア改良に取り組み、我々が思わず手を伸ばしたくなるような花を誕生させ、提供し、年々ペチュニア改良は熱いバトルを繰り広げています。その勢いはますます加熱するばかりです。
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1986年 |
ペチュニアに一石を投じ、この花のあまりにもの素晴らしさにガーデニングが大流行し、洋風ガーデンのはしりを作ったサントリーフラワーズ株式会社の「サフィニア」が販売されました。
市販品種と野生種を交配し、挿し木によって(栄養繁殖系)繁殖する「サフィニア」は今までのペチュニアにはなかった完全ほふく性と花色を持ち合わせ、しだれがかった枝にいっぱいの花を咲かせました。
さらに、花弁に厚みがあり、耐雨性があるので梅雨で花びらが溶けてしまう従来のペチュニアよりも花が長持ちするのも火付け役となった大きな要因です。
ガーデニング花材としては理想のもので、現在でも日本だけでなく、世界中で愛されており、「サフィニア」といえばペチュニアの代名詞となるほどになりました。 |
1995年 |
キリンビール社の「キリンウェーブ」が販売されました。種子系繁殖の「キリンウェーブ」は従来のペチュニアにはなかったパステルカラーの作出に成功し、夏の涼を演出するのにはぴったりの発色で日本だけにとどまらず、アメリカでも人気色です。
この他に現在も非常に数多くのペチュニアが改良され誕生しています。 |
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Yますます発展をとげるペチュニア
世界各国でペチュニアの組織を他の植物に組み入れて素晴らしい花を提供しようと日夜、研究されています。
ジャガイモとトマトの遺伝子を合体させて「ポマト」を誕生させ、話題を呼んだドイツのマックス・プランツ研究所は1988年、トウモロコシの遺伝子をペチュニアの遺伝子に組み込んで、アプリコットの花を咲かせることに成功しています。
また、ペチュニアの青色発色遺伝子をバラの遺伝子と合体させ、青色のバラを誕生させようとしています。皆さんの目に触れるのも時間の問題かもしれません。
サントリーフラワーズ株式会社ではこの技術を応用し、数年前に青いカーネーションの「ムーンダスト」をデビューさせ、カーネーションの常識をくつがえすほどのセンセーショナルな話題を投じました。
今後、さらにペチュニア改良戦争はヒートアップし、「サフィニア」(サントリーフラワーズ株式会社 品種登録済品種名)に良く似た数多くのぺチュニアが品種登録されています。
しかし、最近のペチュニア改良は花色、草姿、といった見栄え重視の傾向が強く、性質、耐雨性、耐暑性、耐病性、といった面での研究を重ねてもらいたいと思っています。
また、個人的ですが、雨にも暑さにも負けない栄養繁殖系、完全ほふく性、純赤色ペチュニアが誕生すればなぁと心の底から待ち望んでいます。
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本ページでの写真協力:タキイ種苗株式会社 |